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会の歩み
| 昭和5年 | 11月 | 日本眼科医師会を創立した。 |
|---|---|---|
| 昭和17年 | 12月 | 太平洋戦争勃発後「国民医療法」が施行され、日本医師会が余儀なく解散したので、傍系たる日本眼科医師会も解散した。 |
| 昭和26年 | 10月 | 終戦後準備期間を経て日本眼科医会再建創立興会を開催した。 |
| 昭和31年 | 2月 | 新医療費体系絶対反対保険医総辞退を決議し当局へ抗議した。 |
| 昭和39年 | 6月 | 会員増に対処し、代議員制度を採用、第1回会議を開催した。 |
| 昭和46年 | 7月 | 日本医師会の指示により、眼科も保険医総辞退に突入した。 |
| 昭和54年 | 5月 | OMA(眼科診療補助者)の第1回試験を全国で実施した。 |
| 昭和56年 | 2月 | 会員のための「生涯教育講座」(第1回)を開始した。 |
| 昭和58年 | 4月 | 日本眼科医会が、民法法人として厚生省から認可された。 |
| 昭和59年 | 4月 | 眼科専門医制度を日本眼科学会と協力して発足した。 |
| 昭和59年 | 9月 | 第1回「記者発表会」を開催した。 |
| 昭和59年 | 11月 | 眼科検診車が完成し、事業所向けの試験検診を開始した。 |
| 昭和60年 | 4月 | 岩手県沢内村の疫学調査を開始した。 |
| 昭和61年 | 9月 | 「検眼の日」・「目の無料相談日」の設定を発表した。 |
| 昭和61年 | 10月 | VDT研究班が発足した。 |
| 昭和62年 | 7月 | 緑内障疫学調査を開始した。 |
| 昭和63年 | 10月 | 「目の成人病110番」を開始した。 |
| 平成元年 | 10月 | 国際交流事業を開始し、近隣諸国の少壮眼科医5名を招聘した。 |
| 平成2年 | 3月 | テクノストレス眼症研究班が発足した。 |
| 平成2年 | 6月 | 日本眼科医会創立60周年記念式典を挙行した。 |
| 平成2年 | 9月 | 「三歳児眼科健診」が始まり、「眼科検診手引書」を作成配布した。 |
| 平成3年 | 6月 | 第1回サテライト・レクチャーを全国20会場で実施した。 |
| 平成3年 | 7月 | 第1回「目の健康講座」(厚生省後援)を開始した。 |
| 平成4年 | 4月 | 学校健診に本会が推奨した3・7・0方式が導入された。 |
| 平成5年 | 10月 | 「コンタクトレンズ110番」を設置し、相談を開始した。 |
| 平成6年 | 4月 | アレルギー眼疾患調査研究班が発足した。 |
| 平成7年 | 1月 | 阪神大震災に対し、「緊急災害対策本部」を設置し、被災者及び被災会員への資金援助及び中古医療器械の斡旋を行った。 |
| 平成7年 | 11月 | 厚生省「老人性眼疾患対策マニュアル作成」に協力した。 |
| 平成9年 | 4月 | 色覚検査表等に関する調査研究班を発足した。 |
| 平成9年 | 10月 | インターネット・ホームページを開設した。 |
| 平成10年 | 4月 | 勤務医部を創設した。 |
| 平成12年 | 3月 | 福祉部を廃止した。 |
| 平成13年 | 4月 | IT眼症と環境因子研究班を組織した。 |
| 平成14年 | 4月 | 学校健診の定期健康診断の必須項目から色覚検査が削除された。(平成15年4月より実施) |
| 平成14年 | 10月 | 「眼科専門医」を広告することができることとなった。 |
| 平成14年 | 10月 | 「目の愛護デー」に合わせ、新聞(全国版)にスローガンと白内障等の啓発記事を広告掲載した。 |